白水阿弥陀堂
福島県いわき市に所在する願成寺白水阿弥陀堂は、1160年(永暦元)3月、徳姫(藤原清衡の娘)が、夫である岩城太夫則道公の冥福を祈るために創建した阿弥陀堂です。
建物は方三間・単層・宝形造で、現在は国宝に指定されています。屋根は現在杮葺(こけらぶき)(*)ですが、これはたび重なる修理の結果であり、明治37年(1904)の解体修理の際に、茅葺(かやぶき)から杮葺へと屋根材が変更されたことが知られています。
白水阿弥陀堂 左遠景 右近景
内部は折り上げ小組格天井で、天井には宝相華文様が描かれており、その一部が現在も残っています。規模は異なりますが、宝相華文様の描かれた格天井という点では、平等院鳳凰堂とよく似た雰囲気を感じさせます。
本尊の阿弥陀如来三尊像は寄木造・定朝様式で、国の重要文化財に指定されています。これに加え、持国天立像・多聞天立像も重要文化財です。
阿弥陀堂は南面して建てられており、堂の手前には中島が配され、その中島を挟んで朱塗りの勾欄橋が架かっています。阿弥陀堂と庭園が一体となったこの浄土庭園は、国指定史跡となっています。
白水阿弥陀堂 左 浄土庭園 右 軒下の造形 斗栱・垂木等
ところで、京都の浄土庭園である浄瑠璃寺や平等院では、阿弥陀堂が東面しています。これらは、太陽の運行を厳密に取り込み、彼岸・此岸の思想を視覚的に表現した浄土庭園の一つの完成形と考えられます。
これに対し、白水阿弥陀堂の場合は、白水川の蛇行を利用した地形的制約によって当初から南面になった可能性があります。また、同じ奥州藤原氏の文化圏に属する毛越寺(藤原基衡建立)が南面であることを考えると、平泉文化圏では、浄土思想そのものは十分に理解した上で、必ずしも東面に固執せず、地形や施主の意図に応じて多様に翻案されたと考える方が自然でしょう。
一方、無量光院跡(藤原秀衡建立)は東面しており、これは平等院鳳凰堂を再現するという明確な「選択」によるものと理解できます。実際に、『吾妻鏡』文治5年(1189)9月17日条には、無量光院が平等院を模して建立された旨が記されています。この条は、奥州合戦直後、藤原氏滅亡後に寺院側が安堵を求めて申し上げた内容を記録したものであり、中尊寺や毛越寺の状況も併せて記されていることから、当時の平泉の実態を比較的正確に伝える史料として一般に評価されています。
以上を踏まえると、無量光院の東面は秀衡の明確な意図に基づくものである一方、毛越寺や白水阿弥陀堂の南面は、同一の浄土観に立ちながら導かれたもう一つの解として位置づけることができるでしょう。
以下は、浄土庭園の平面図です。阿弥陀堂と浄土庭園の関係がよくわかります。
(画像はいずれも四角補正を行っています)
白水阿弥陀堂(現地の案内板より)
中央の鶴翼を持った伽藍が毛越寺(円隆寺)右端が観自在王院↑浄瑠璃寺(いずれも現地の案内板より)
画像 上 平等院鳳凰堂(入場券よりコピーさせていただきました
画像右 稱名寺(現地案内板より)
(原典は、重文『稱名寺絵図並結界記』)
浄土庭園関連のリンク情報は、下記となります。
(下記よりリンクへジャンプされた方は、ブラウザの戻るボタンでこのページへ戻ってください。)
浄瑠璃寺 http://blog.bishamonten.info/posts/post25.html
毛越寺 http://bishamonten.info/posts/post84.html
稱名寺 http://bishamonten.info/posts/post65.html
永福寺 http://bishamonten.info/posts/post83.html
このブログのトップページはこちらから。
http://blog.bishamonten.info/
毘沙門天関連トップページはこちらから
http://bishamonten.info/
(*)「杮葺(こけらぶき)」とは、ヒノキやマキなどの薄板を用いて屋根を葺く工法です。「杮(こけら)」と果物の「柿(かき)」とは字が異なりますので、ご注意ください。