開化天皇陵
開化天皇陵(春日率川坂上陵)は、奈良市の三条通沿いに位置し、市街地の中にありながら良好な状態で保存されている古墳です。しかし、この陵が本当に開化天皇のものかについては疑問が残ります。
江戸時代に多くの天皇陵を治定した蒲生君平の『山陵志』(1809年)には、この陵に関する記載がありません。それにもかかわらず、明治時代になってこの地が開化天皇陵として正式に治定されました。そのプロセスについては、良く分かりません。
画像の説明:開化天皇陵

画像の説明:開化天皇陵と開化天皇陵の地理的位置(GoogleMAPより掲載)
下の写真:山の寺念仏寺(阪奈道路側)より見える開化天皇陵
開化天皇は「欠史八代」に数えられる天皇の一人であり、実在自体が疑問視されています。そのため、この陵が本当に開化天皇のものなのか、あるいはそもそも天皇陵なのかについての確証はありません。
この陵に関する本格的な考古学調査は、宮内庁の管理下にあるため行われていません。ただし、周辺で出土した埋蔵物などから、この陵は5世紀に築かれた前方後円墳である可能性が高いとされています。5世紀といえば、「倭の五王」として知られる河内王朝の時代であり、大王級の墓が河内地方に多数築かれた時期です。したがって、この古墳も当時の権力者の墓である可能性はありますが、必ずしもその中心的な存在ではなかったと考えられます。
平城京の造営以前、奈良盆地には多くの古墳が存在していました。しかし、平城京が建設される際、多くの古墳が破壊・削平されてしまいました。その中で、この古墳は奇跡的に残存したものの一つです。さらに、明治以降に天皇陵とされたことにより、宮内庁の管理下で手厚く保護され、都市部にありながらも良好な状態を保つことができました。
このように、開化天皇陵とされる春日率川坂上陵は、その本来の歴史的背景が不明瞭でありながらも、考古学的には5世紀の前方後円墳としての価値を持ち、都市の中で奇跡的に保存されてきた遺跡です。歴史のロマンを感じさせる場所でありながらも、さらなる調査が待たれる陵墓の一つといえると思います。