岩船寺と当尾の石仏

 岩船寺縁起によると、当寺の創立は、奈良時代に僧行基が阿弥陀堂を建立したのが源流とされます。その後、空海の甥で弟子の智泉(*)が創建した報恩院を始まりとして、弘仁四年(813年)に堂塔伽藍が整備され、寺号も岩船寺となりました。最盛期には東西十六町、南北十六町の広大な境内に三十九の坊舎を有しましたが、承久の乱(1221年)の兵火により大半を焼失しました。

 堂内の阿弥陀如来坐像は、像高約3m、十世紀中期頃の作、ケヤキの一木造りです。また、普賢菩薩騎象像は、通常厨子内に安置されていますが、智泉(*)作と伝えられ、もとは、三重塔に納められていました。両像とも、国宝級は間違いないと思えますが、由来が良く分からないことで、重要文化財に甘んじているといったところでしょうか。

<画像の説明>左または下:岩船寺三重塔 右または上:岩船寺本堂

 三重塔は、東を正面として建ちます。岩船寺と浄瑠璃寺は一緒に語られることが多いのですが、浄瑠璃寺も同じレイアウトです。塔と本堂の間に阿字池を挟んで本堂と対峙しています。同塔は、室町時代の嘉吉二年(1442)の刻銘があることから、この頃の建立で間違い無いと思われます。内部の壁画は、鎌倉時代の遺風を残す室町時代の作とみられ、平成十五年に建立当初のものに復元されました。

 十三重塔石塔は、正和3年(1314)の建立と伝えられます。昭和十八年、軸石のくぼみの中から水晶五輪舎利塔が発見されました。同じく寺域内にある写真掲載の五輪塔(鎌倉時代)も共に重要文化財です。

<画像の説明>左又は下:岩船寺十三重塔 右又は上:岩船寺五輪塔


 ところで、岩船寺から浄瑠璃寺に至る道筋は、当尾(とおの)の石仏という多くの石造文化財が点在し、年紀を伴う鎌倉時代の石仏が貴重です。掲載の写真は、弘長2年(1262)の三尊摩崖仏(藪の中三仏摩崖像)、永仁七年(1299)阿弥陀三尊摩崖仏(わらい仏)です。いずれも良くできていると思います。

 

 

 

<画像の説明>左又は下:三尊摩崖仏(藪の中三仏摩崖像) 右又は上:阿弥陀三尊摩崖仏(わらい仏)

 当尾の石仏を見る際、知名度から先ず浄瑠璃寺へ行って、その後当尾石仏を参拝しながら岩船寺へ向かう道を考えがちですが、実は、岩船寺の標高は、浄瑠璃寺より100m位高いので、先ずは岩船寺へ参ってから、浄瑠璃寺へ参るほうが、下り道になってかなり楽と、地元の方に教わり、今回はそのルートで参らせて戴きました。

(*)智泉は、このブログでも過去何度か取り上げました。「智泉様」は、空海の甥、智泉が821年に記した「四種護摩本尊并眷属図像」のことです。四川の毘沙門天と同等の図像が残されています。
     ➡http://bishamonten.info/custom13.html

2024年01月06日